餅とは
餅とは日本に古くから伝わる食べ物で、もち米を蒸して粘り気が出るまで臼でついて、適度なサイズに形を整えた食品です。
独特の粘りと伸びのある食感が特徴で、煮るととろけ、焼くと膨らみます。
古くから正月や節句、季節の行事や祝い事のようなめでたい日に食べるものとして現在まで伝えられています。今でもその習慣は日本のあらゆる土地に残っています。
また、マッチ箱1箱程度の大きさ1個で、茶碗1杯分のカロリーがあること、保存がきくこと、簡単に入手できることなどから、災害時の非常食としても重宝されています。
もち米とは、餅や赤飯などを作る時に使うお米で、デンプン質にアミロースが全く含まれず、アミロペクチンのみで成り立っています。
日本のもち米の生産量は、米全体の3~5%程度となっています。その中でも畑で栽培される陸稲が占める割合が大きくなっています。
餅の歴史
日本は稲作信仰が根付いていて、特に平安時代から顕著になりました。
現在でも受け継がれ、正月などのハレの日の行事に欠かせない縁起物の食材となっています。それによって多様なつき餅の食文化を形成しています。
古墳時代後半(6世紀頃)の土器から蒸し器が復旧したと考えられ、日常的に蒸す料理が作られていたと言われています。
つまり、米を蒸すこと、餅をつくることも多くなったと考えられ、社会的に一般化したと考えられています。
餅の伝来
縄文時代後期に稲作伝来とともに東南アジアから伝わったと考えられています。
その当時の米は赤っぽい色をしていて、餅になりやすい米だったようです。
平安時代の餅
餅が季節・行事ごとに供えられ食されるようになったのは、「鏡餅」が誕生した平安時代からのことです。
この頃から餅は祭事、仏事の供え物として慶事に欠かせない食べ物となりました。
室町時代の餅
茶道の発達と共に茶菓子として用いられ、縁起の良い食べ物として伝えられています。
餅に関する記述
「豊後国風土記」(8世紀前半)
富者が余った米で餅を作り、その餅を弓矢の的として用いて米を粗末に扱ったとあります。的として使われた餅は、白鳥になり飛んでいってしまい、富者の畑は荒廃してしまったとか・・・。
古くから、白鳥を穀物の精霊として見る信仰があります。
「大鏡」(11世紀末成立)
醍醐天皇(9世紀から10世紀始め)の皇子が誕生して50日目のお祝い、五十日(いか)のお祝いの餅として、赤子の口に餅を含ませたとあります。
2ヶ月もしないうちに天皇家や皇族の間では、餅の味を覚えさせたとか・・。
「吾妻鑑」に三色餅
吾妻鑑は鎌倉時代に成立した日本の歴史書で、鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝から6代将軍・宗尊親王までの将軍記です。この吾妻鑑の建久4年(1193年)5月16日条に、黒、赤、白の「三色餅」の記述があります。
よって、12世紀末には白以外の色餅が作られていたことが分かります。
それを重ねて山の神に供したとも言われています。鏡餅や菱餅と同じように、鎌倉時代から餅を重ねる風習があったとされています。
現在の餅
現在日本で市販されている餅には、原材料にもち米そのままを使ったものと、もち米粉を使ったものがあります。販売価格に大きな差があり、もち米そのままを使ったもののほうが高いです。
食味、歯ごたえを左右するコシの強さ、焼いた時の膨れ具合、煮た時の溶け具合、伸び具合や粘り具合など、もち米そのままの方が勝るとされています。
廉価なつき餅には、もち米粉に馬鈴薯などのデンプンを加えたものまであります。
餅に関する行事
餅つき
昔から正月を迎える大切な段取りとして、年の暮れの数日間に行われます。ただし、12月29日は「苦」に通じるため避けたり、または「29日」をフクと読んでついたりする風習があります。26日はろくなことがないと避けることもあります。
1974年に小型の電動餅つき機が普及し、一般家庭で臼と杵で餅をつく光景が少なくなりました。
餅まき(餅なげ)
上棟式などの神事に際して、集まった人々に餅をまく行事です。災いを祓うために行われた散餅の儀(散餅銭の儀)が広まったものです。
地域によっては餅以外に「赤い紐を通した5円玉・50円玉」などの小銭をまくところもあります。
昔のお年玉
お正月に新年を祝う為に贈答される品物のことです。現在では特に子供に金銭を与える習慣がありますが、古くは餅玉を与えたために「年玉」の名がついたという説もあります。